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異国間・異文化間の政治や宗教、思想の話は公の場においては
暗黙の了解でタブー視されているように思います。
不毛であり、諍いが絶えませんし、国益が絡む話となると尚更です。
例え話を縮小して
同国間の同文化間に生きる人間同士でさえこの手の話を自ら振ってくる、
なおかつ白熱しても決して持論を曲げない、妥協点を見いだせない、
また執拗にこだわり続けて食い下がるような輩は
自分という名の国を統治する君主であるわけですから、
そりゃ戦争には負けられませんよね。
しかし、それが損得勘定に基づいた思想や盲目的な正義感であったり
自分という名の神を崇拝する精神論で対人・対外関係を行えば、
やはりそこに見えるものは譲れるところと譲れないところの話だと思います。
後は…言わずもがな、ですよね?
それほど信念というものは厄介だということに尽きます。
(忠誠心と愛国心は別物)
「愛国心」は、額面通りの解釈としてはウィキペディアでも何でもご利用下さい。
しかし、スレ主さんが疑問に感じているのはそういうところではないでしょう。
自国転じて自分(この間にはいくつもの再帰的な入れ子が存在)に
「誇りを持つこと」の意識が拡大解釈と過小評価を繰り返し、
ときに世間や時代とはズレた曲解を交えながらも形作られてしまうこと、
それを疑わずにいることが結果として良くない状態を招いた場合に違和感を覚えたり、
疑問を感じたりするのではないでしょうか。(例:ジ***)
つまるところ、個:個と国:国では根底にあるものはまったく似て非なりだと思います。
そこを教育によってどう良い方向へ導くかが重要で、お互いの違いを認め合い、
交われなくとも共存し合い、どう折り合いをつけながら、どう辻褄を合わせていくか、
が肝心であるはずです。(例:***育)
良し悪しの基準をどこに置くかで変わるのは百も承知なうえで書いてます。
ご質問の「愛国心って何なの?」からはポイントがズレたレスになりましたが、
そもそも一番にスレ主さんが疑問と感じた「言い返すのはおかしい」「水掛け論だ」に
スポットを当てると上記のような流れが見えてくると思いますよ。
また悪態をつく人間を諌めようとしても逆効果になりがちなのは世の常です。
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