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言葉をよく選んでいただき感謝しています。
《「男はこうじゃなきゃいけない」とか「女はこうじゃなきゃいけない」というものに縛られてる》
仰る通りだと思う。ただし「縛られている」=「俺自身に不自由を来している」のようなネガティブな意味ではなく、自分自身が窮屈に生きているとは思ってはいない。しかしこれにより女装やオネエに嫌悪感を抱いているのは確かだと思う。
そのため周囲の考えも俺と同じだとしか考えられず、カミングアウトなど怖くてできない(正確にはカミングアウトの必要性も感じていない)。女装するのではないかと思われたり、俺とオネエとの違いを説明する必要もないほど拒絶される、気持ち悪がられる、と思っている。本当は、そんな考えや反応の人ばかりではないのは分かっている。しかしカミングアウトしてみないと分からないのであればリスク高く、またその相手自身は受け止められたとしても、誰か別の人に、絶対に受け止められない人に話してしまうかも知れないと考えると、やはりリスクは高い。
人はみな違うので、自分を偽って生きるのではなく、正直に生きるというのはやはり否定はしない。
しかし、受け止め方や価値観は人それぞれで、とてつもない嫌悪感を与えてしまうかも知れない。「自分に正直に生きている」という一見自然で当然の主張は、時に相手を、誰かを傷つけたり、嫌な気持ちにさせてしまうかも知れない。相手を思う配慮や、自分を受け入れて欲しいと思う気持ちと同質の思いで、見せられる、聞かされる側の立場と気持ちになれているのだろうかと。それも、俺だけではないはずだが、受け入れられない側に問題があるのだろうか?
自分に正直に生きることは必要だと言ったり、見せられる側の身になれと言ったり、確かに矛盾しているのかも知れない。
俺はカミングアウトしていないが、自分には正直に生きているつもりだ。周囲には隠しているが、自分には正直なつもりだ。「受け入れてくれ!」と言うことは@誰かにとっては押し付けてしまうのではないかと思うし、A周りに隠しても自分には正直なら、やはりカミングアウトに必要性も正当性も感じない。
自分を、ありのまま受け入れた結果が女装やオネエで、外側に形として現れる場合と、俺みたいに、同じくありのままを受け入れた結果が、ただ性の対象が男であるという、目には見えないモノとだという違いなのだろうか。
だから同じように自分に正直に生きている結果が違うだけなのだろうか?俺が女装に興味がないから、形として表面に現れる行動や言動が理解できないのだろうか?
ん〜さん。
いろいろとありがとう。残念ながらご指摘の矛盾は解消できないと思う。開き直っているのではなく、こんなに長く書きながらも上手く表現できた気がせず、やはり心の中では筋が通っていて、矛盾という響きに正直まだ違和感もある。表面に出るもの、出ないものの違いはあれど、犯罪じゃないからよい。自分らしくてよい。迷惑かけていないからよい。この考えは時に危険だと、やはり思うのだ。犯罪だからダメ、違法だからダメ、「でも自分に正直に生きたいのに!」と言われても、やはり相手の気持ちになり、自身を枠内に収めるチカラも、社会の中では必要だと思うのだ。それを抑圧と呼ぶのだろうか。では、抑圧も必要だという事になりそうだ。
頭の固い男で申し訳ない。
気分を害されていたら、すまない。
俺はまた少し勉強させてもらったと思ってます。
主様、他の投稿者様、申し訳ない。
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